生きる勇気を与えることが芸術=山田洋次=
2014-11-19


禺画像]
僕は何かを表現したくて、わずかここ10年のことですが、写真という方法でそれをやってきました。
 学生時代から撮るのも観るのも人物の写真が好きでした。当時感動したのに「The Family of Man」や「人間とは何か」という写真集や展示がありました。(下記のサイトをご覧ください)
[URL]
[URL]
 そして、「僕は何を表現したいのか」という、表現者にとって切実なことなのですが、一向に明確な説明ができるほど掘り下げることができない命題は、学生時代と同じように写真を再開したここ10年間も脳裏から離れません。
 それぞれの分野の表現者が「芸術ってなんですかねえ」と問い、答えを探しているのだろうと思います。高倉健もまた46歳ときにこの難問にぶち当たって、自分の演技のことを悩んでいたのではないでしょうか。
 
 僕は下記の記事に接して感動しました。山田洋次氏の説明は僕のジグゾーパズルの欠けていたところにぴったりとはまったような気がしました。

 朝日新聞夕刊2014年11月18日の記事
「貫いた映画人 高倉健さん死去、慕われた『最後のスター』」
(前略)
 決定的な転機は46歳で出演した「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」(77年)だった。東映から独立後で、健さん自身、自らの進むべき道を探しあぐねていた時代だった。
 結果、健さんをヤクザ映画のスターから国民的ヒーローに押し上げる作品になったのだが、本人にしてみれば、「映画人」とは何か――よほど、悩んでいた時期だったのだろう。

 健さんは撮影の合間に、山田洋次監督に「芸術ってなんですかねえ」と聞いてしまう。質問を受けて3日たってから、山田監督は答えた。
 「ジャンルは違っていても、この作者がこれだけ頑張っているんだから、おれももっと頑張れるんじゃないか――そんな生きる勇気を与えることが芸術じゃないんですかねえ」
 健さんは忘れないように太文字のペンで台本の裏にそっと、しかし一生懸命書いた。その紙切れを生涯、「お守り」のようにして財布に入れていた。
(後略)

 写真を撮る際のシャッターを押す判断は瞬間のことです。その後、モニターで撮った写真を幾度も見て「こりゃ、だめだ」とか「これは使えるかな」と独り言をいいながら選ぶ作業をします。しかし、これからの選ぶ作業は「生きる勇気を与えるかな、どうかな」とつぶやきながらやってみようと思います。

コメント(全7件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット